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  • 2021/03/06(土) 21:57:27
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偉い人の説教で学習しようぜ~仏陀(ブッダ)の説法~

ここに愚者と賢者のふたりがいたと想定しよう。

愚者は、例えばここでオレンジを一つ買う。
それを食べて、その美味しさを味わう。

次の日も2個、3個、4個と買って、好きなだけ食べる。

そして、オレンジに飽きる。

もう美味しくない。
では、次はぶどうにしよう。

彼はぶどうを食べる。
飽きるまで食べる。

次はりんごだ。
りんごで同じことを繰り返す。
結果、バナナ、梨、柿…と彼はいつまでも繰り返す

ここで、賢者だったらどういう過程を辿るのかな。

賢者は、オレンジに飽きたとき「私はなぜ、オレンジに飽きたんだろう?」と考える
そして、「私は今ぶどうを食べようとしているけど、結局ぶどうにも飽きるんじゃないか」という考えに至るだろうね。

そして、ぶどうに挑戦するとき、「自分がぶどうを食べる時の心の変化を、客観的に見ていよう」と決心する
そして、ぶどうを食べていきながら、食べる量を増やしていきながら、心の変化を理解していく。

そうするとね、オレンジとぶどう、これくらいで『飽きる経験』は済んでしまうんだ

飽きる経験が済んでしまうから、次のりんごまでいかない。
いく必要がないんだ。

お金についても同じだよ。

もし予想も出来ない大金が手に入ったら、遠い親族の遺産が手に入ったら、宝くじが当たったら…悠々自適に暮らせるだろう、楽して暮らせるのだ

マンションを買おうか?高級な車?それとも好きな女性と結婚して豪華な家に?
次々に心が移ってしまうプロセス、これも全く同じだ。

オレンジやぶどうがね、車に変わっても同じ
例えばフィットに乗っていてね、
飽きてヴィッツにする。
次はアクアにしてみる。

これと、オレンジ、ぶどう、りんごのプロセスは全く同じだ
異性について考えても同じだよ。

A子さん、B子さん、C子さんと心が移っていくプロセス、これも全く同じだ。

だから、私達は、もしオレンジで心の動きを理解したならば、お金に対しても異性に対しても、惑わされることはないだろう。

その時、悟りが訪れます

急に、悟り、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな?
オレンジや車と悟りが、なにやらつり合わないような気がするかもしれない

しかしだ、悟りとは心の動き、あるいは自我がどのようにして闇の中に入っていくかを、客観的に見て理解できる状態のことなんだ。

いいですか、これが悟りだ!
ブッダ

※この文章は宗教法人『幸福の科学』とは一切関係ありません。

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ブッダといえばコレ❗
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オレンジ以外のフルーツも適当に組み合わせを変えたりして一生楽しめばいいだろ。
車は何台も乗り分けることができないから事情が違う。
女も、相手の人権があるから簡単に変えられない。

賢者と愚者、どっちが賢いのか分からんな。
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「ブッタとシッタカブッタ」を読もう。
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芥川龍之介「蜘蛛の糸」についての考察。
罪人カンダタはお釈迦様が垂らした糸につかまって上がって来ようとするが他の罪人たちが糸につかまってるのを見て「離せ!これは俺の糸だ!」と叫んだ途端糸が切れて元の地獄に落ちてしまう。これが物語のあらまし。これをお釈迦様が糸を切ったと解釈する向きが強いが、それは違う。お釈迦様は全ての魂に平等に救いの手を差し伸べる存在だからそんな事はしない。では何故糸は切れたのか?ここで根本的な疑問。何故亡者たちは地獄へ落ちるのか?だって亡者って魂じゃん?重さなんか無いはずじゃん?重さが無いのに何故落ちるの?そう、地獄が亡者たちを引き寄せてる力は重力とは違うんだな。地獄は地球みたいに重い物を引き寄せてる訳じゃない。自己中心の心、「自分さえ良ければ他はどうなっても良い」と言う心こそが地獄に引き寄せられる。糸を切ったのは他ならぬカンダタ自身の心だったのだ。あの場で彼が「頑張って皆で救われよう」と言ったなら地獄に引き寄せられる力は無くなり糸など無くても救われていた事だろう。
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↑とあるお寺の新春法話より。
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 広島の大谷宏明氏なるスケベ(とご本人が自著に書いておられる)の医者が斯く宣う-
 
 愛する女性をセックスで失神させる!それができれば男の子を産むことが可能なんじゃ!/
「これまでのセックスで感じることがあったかいのお?」
 男の子を産み分ける方法を研究し始めた時、わしは妻にそんなことを聞いたことがあるんじゃ。すると、妻は「ほとんどない」と答えたんじゃ。
 これには、さすがのわしも相当なショックを受けたのお。
 高校3年生の終わりに赤線(かつて日本にあった合法の売買春施設-引用者)で童貞を捨てて以来、結婚するまでの12年間で、自慢じゃないが、50~60人の女性と関係を持ったもんじゃ。ほとんどはプロの女性で、時には“鶯の谷渡り”と言って、2人の女性と、また時には5人の女性と同時にセックスをしたこともある。その度に女性を感じさせていたと思ってたもんじゃ。
 じゃけん、妻のこの言葉は胸にグサッと刺さった。プロの女性は男をいかに早くいかせるか、つまりは終わらせるかを考えている、まさに性のプロフェッショナルじゃけん、ほとんどが“演技”で、遊んだつもりが、遊ばれていたんじゃ。いくらプロの女性と関係しても、女性を知っちょる内には入らんと知ったのは驚天動地じゃった。

 ・・・俺が思うに、セックスの事に限らず昔の男のエライ作家や文芸評論家が「あいつは女が書けている」「いや書けていない」とかしたり顔で言い合っていたのを、「女流作家」や女の編集者らは内心噴飯の思いで冷ややかに眺めていたに違いない、と想像すると、ちょっとほろ苦くも面白い。
 
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 ・・・パチンコにしろ競艇にしろ競馬、あるいは株の類にしても、よく必勝法というのがあって、それを真剣に参考にしている人がいるものだ。
 私はそういう必勝法を真剣に試したことがない。自分で考えた必勝法ならともかく、人が考えた必勝法を素直に聞く気になれないのだ。
 人に頼るという行為がギャンブルの楽しみの一つを奪っているようなもので、必勝法通りに遊んでいてもいまイチ面白くないのである。
 必勝法とか予想屋さんの予想を信じて買って、それが負けた場合、必勝法を書いた人や予想屋さんに食ってかかる人もいて、そういう人はギャンブルの楽しみ方を知らない人だ。必勝法などというものは時間潰しの余興と考え、最終的には自分の考えで勝負するのが望ましい。-蛭子能収
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 夢占い  古代の人びとにとっては、夢は人間が神や妖精や故人の霊などと自由に交渉することのできる場所であり、夢で見たこと聞いたことは、いつかは現実になるものと信じられていた。/また、凶夢をみたら動物のバクに食わせるがよい、というマジナイ思想があるが、これは古代中国に、悪鬼を退治する猛獣として想像された動物が、のちに実在のバクに結合されたものであり、/そして江戸時代には、もし凶夢を見たら、めざめてからすぐに、
 みし夢はバクのえじきなすからは、心も晴るるあけぼの空
と三度唱えるか、あるいはこの歌を紙に書きつけ川に流せば災厄を免れる、と信ぜられていた。
 ―『やさしい易と占い』竹内照夫/現代教養文庫
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 ・・・ギャンブルが成立する条件は、参加者に有利なように見えながら、実は世話役(いわゆる「胴元」を指すと思われる―引用者)に有利なポイント、そのトリックを創造できるかどうかによってきまる。/どこまでが公平で、どこがトリックであるか。どこを信じ、どこを疑うか。
 まずじっくりと眺めることである。/張った、取った、などは瑣末のことにすぎない。―『阿佐田哲也の競輪教科書(バイブル)』

 ((関係あるようなないような話だが、株主優待の鬼だった桐谷さんが、最近米国株がどうとか言い出して、どうなるんだろうな、などと他人事ながらちょっと思った。))
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「そういうものをすべて返して欲しいんですよ。それは私がもらうべきものですから」
 由里さんの試算によると、夫が愛人のために使ったお金は三千万円にのぼるという。どうやって算出したのか尋ねると、デートにかかった経費とセックス行為への対価をすべて計算したとの答えだ。
「だって、主人はあの女とセックスして射精したわけですよ。その精液は本来私の所有物じゃないですか。それにだってお金を払ってもらいたいんですよ。工藤さんだから、はっきり申し上げますけど、うちの主人の精液の量は普通の人より多いんです。そのへんの男とは比べられません」
「はあ」
 
 【「5 愛人への復讐に燃える妻の暴言・暴挙」;工藤美代子『快楽(けらく)一路』中公文庫】

 ・・・何かもう、こうなるとエイリアンかプレデターか、人間の言葉で対話出来る相手じゃなくなってるって感じだなぁ。これ「偉い人」ならどんな風に答えるんだろう。。。
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・・・しかし小説の読者が減ってきたとしたら、その責任の多くは供給する側にあるとわたしは思っている。/時代の要求するものをつくる側が満たせなくなった。というより何が求められているか、それすらつかみきれなくなった。/かといって、ではどうしたらよいか、という問題まで立ち入る力はもうわたしにはないのである。/しょせん小説は時代の子。/そして時代というものはいつか終わりを迎えるものなのだ。・・・
 ―志水辰夫『うしろ姿』文春文庫;あとがき(二〇〇五年十月)

 作家や編集者や出版社の努力とは別に、その一つの大きな解決が、先端科学技術の方からもたらされるかも知れない、と俺は夢想する。
 あと20年もしないうちに、俺が携帯端末(いやそんな物すら形としては消滅してるかも)に「一番好きな作家」「読みたいジャンル」「希望ページ(文字)数」を入力すれば、自分好みの小説をAIが自由自在に「創作」して配信してくれるようになるんじゃないか??―そんな風に考えながらこの文章を読んだ。
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 ◆本多顯彰『文章作法』現代教養文庫,P.25◆
 ・・・たとえば、次に掲げるのは、あるえらい学者の書いた論文の一部だが、たいていの人には、一ペんや二へん読んだだけでは、何のことやらわからないであろう。こういう文章に出会わすと、私は、いつも、これで、書いた本人に、書いていることがわかっているのかしら、と思う。
 「芸術の歴史に現れるすべての様式は、当該の発展段階における統一的全体精神の顕現として、他の文化的現象形態と根底において相通じ、他の文化領域における精神的傾向によって誘導されるにしても、同時にまた、つねにそれ自身の発展法則に従って芸術的精神そのものの内部から産出される」
 もちろん書いた人じしんにはわかっているであろう。ただ、この人は、自分の考えたことを他人に伝達するための十分な努力をしなかったか、伝達する能力を欠いたかであろう。いずれにしても、上手な文章であるとはけっしていえない。どんなに深い思想をもっていても、これではしようがない。逆にいえば、文章が上手でなければ、どんなに深い思想をもっていても、宝のもちくされである。
 しかし、宝のもちくされであるということは、むしろまれであって、たいていのばあいは、このような難解な文章の背後には宝はない。
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 ロシヤは一九一八年の三月革命と十月革命によって、ロマノフ王朝の息の根を止めて革命的体制を作った。しかしながらあの十月のボルシェヴィキの革命でもロシヤ官僚は温存しましたよね。若(も)しこの体制を叩き壊したら末端まで命令は伝達されませんよ。彼奴等革命党の奴等も官僚制度だけは温存しとります。中国の革命でも清朝は叩き倒したが、その官僚制度は温存せざるを得なかった。いずれの国も革命を遂行しながら十年を経過したら悉(ことごと)く革命政府の官僚化が問題になった例をごらんよ。そう易々と反体制なんか出来るもんじゃねえんだ。
 ・・・
 民族や国家や社会などという有機的なものが、そう簡単に変革出来るもんじゃねえです。僕に言わせると民衆は古いものしか愛さないね。まったく奇妙なことだけれど新しいものには興味や好奇心をもつが、見向きもしないもんです。改革だの、革新だの、革命だなんて言っても駄目です。しかもしなければならないのは絶えざる改革だ。何ともやりきれない人間の宿命だね。
 ・・・
 如何に反体制を断行するてえことは難しいか。それは敗戦の結果、国家も民族もぼろぼろに四分五裂して襤褸(ぼろ)みたいになった時ででもなければ可能じゃありませんね。

 ―今東光『毒舌日本史』文春文庫
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 気がついたことがひとつある。
 それは次のようなことだ。
 「セックスがヨワクてしようがない」
 と、相談に来る男性の住居が、海に面している事実である。/
 これは何故か、記録魔ではないワシも、参考にと思い、いろいろと質問をして、その原因を考えてみた。
 その結果―
 彼らがこぞって、魚が大好きだ、というのである。/
 それじゃ、なに喰えばいいんだ。
 と、おっしゃるだろう。/
 ズバリ結論を出そう。
 肉を喰うことだ。/
 肉はいい。肉を喰えば喰うほど、セックスはツヨクなる。これホントのハナシだ。/
 医者にいわせると、
 肉はコレステロールがたまって食べすぎるとよくない、そうだ。
 だが、ワシらヘイキだね。 (神保功『性豪一代』)

 ・・・つまり、旦那側レスで悩んでいる妻は食卓を肉まみれにし、旦那の浮気を封じたい妻は旦那を魚&野菜で満腹にしてしまえば良い、という話になるのか。
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魚とか野菜ばかり食わせた方が浮気するだろ
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>>16 確かに(笑)。「藪を突いて蛇を出す」で、もし旦那が別に魚好きじゃないなら、肉の代わりに魚ばかり食わせて性欲・精力を幾らか下げる事が出来ても、食事の度に嫌がらせされてるようなものだから、旦那に強い反発心が生まれて、起こらなくて済んだはずの浮気を誘発してしまう可能性はあるね。
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>>1
いきなり長文を投下するより
反応を見ながら少しづつ投下する方がいいと思いますよ
もっとも人が少なすぎると反応が返ってこないかも知れませんが
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とある友人との会話にて
「小学校3年か4年くらいの頃かなぁ・・・・今考えるとしょうもない物を集めて宝物にするのが趣味でね、まぁ色々集めたな。切手、メダル、貝殻、キン消し・・・・クッキーの空き缶にゴッチャに突っ込んで缶の蓋にマジックで[宝箱]なんて書いてね。それが今となっちゃ何一つ手元に残っちゃいない。それどころかいつどうやって無くしたのかすら覚えちゃいない。ところがさ、同じ頃ランドセルの奥に突っ込んで気にも留めてなかった紙挟みがさ(近くの古びたバインダーを手に取って)ほれ、この通り今だに手元に有る訳よ。縁なんて本当に解らんもんだぜ」
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森鴎外
高瀬船
足るを知るて大事だよね
自分のいる場所に満足する事も大事なんだろうね
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いつまでも飽きない狂者が現れてこう言いました
「あぁ、わたしはぶどうが好きなんだ」
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「テヘランの死神」

 裕福で力あるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。すると、ふいに召使いが泣き出した。なんでも、今しがた死神とばったり出くわして脅された、と言うのだ。召使いは、すがるようにして主人に頼んだ、いちばん足の速い馬をおあたえください、それに乗って、テヘランまで逃げていこうと思います。今日の夕方までにテヘランにたどりつきたいと存じます―
 主人は召使いに馬をあたえ、召使いは一瀉千里に駆けていった。
 館に入ろうとすると、こんどは主人が死神に会った。主人は死神に言った。
 「なぜわたしの召使いを驚かしたのだ、怖がらせたのだ」
 すると、死神は言った。
 「驚かしてなどいない。恐がらせたなどとんでもない。驚いたのはこっちだ。あの男にここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」

 ・・・人間、この世に生まれ落ちたら、遭う災難には遭い、落とす命は落とすのだ、ぐらいに思っておく方が良いのかも、という寓話。
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◇たんに人気馬だから買った、というのはそこに自分の弱さがあったということを知るべきだ

◇あと1分、で迷いを生じたときにはその競馬は見送るべきだ

◇あくまで、馬券戦術の上では、人気が走るのではなく、馬が走るのだということを忘れないことだ

(競馬タブー集/大川慶次郎)

これは、巧くやれば株式にも婚活にも適用が可能な観点だと思う
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オープンチャット「パチスロと競輪ポイ活で年収1000万overホス狂アサックマと期待値稼いで夜の街でシャンパンタワー!」
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